雨が肩を打つ。しとしとと、やわらかく背中を押すように降る。
錫也は空を見上げ、息を吐いた。







雨音







「――あ、雨だ」
窓に叩き付ける粒を見て羊が呟く。
これから帰ろうとしていたのに、外は雨が降っていた。
生憎今日は傘を持って来ていない。憂鬱な表情で月子の方を振り返ると、彼女も雨粒を見て溜息をついていた。
「雨降ってきたね」
「ニュースでは一日晴れって言ってたのにね…」
哉太は勿論傘なんか持ってるわけがないし、持っていたとしても三人は入れないだろう。
ならば、せめて月子だけでも…と、傘を持っている人を探す。
「…錫也なら傘持ってるかもしれない。聞いてみようか」
「あ、羊君、今日は…」
「錫也、傘持ってる?」
羊が話しかけても、錫也は反応しなかった。外を見たまま微動だにしない。
「錫也?」
「え?――あ…ああ、羊。どうかしたか?」
錫也はたった今気付いたようにこっちを見る。
「傘持ってるか聞こうと思ったんだけど…大丈夫?」
「はは。いきなりなんだよ?」
「だって…」
錫也今日、朝から変だよ。――なんて、いつもどおりに見える笑顔には言えるはずなかった。
そんな羊の袖を月子が引く。振り返ると月子は困ったような表情。
「羊君、今日は駄目だよ」
「どうして?今日、皆変だ…」
思えば、朝から錫也は空を見つめ溜息をついていたし、月子達はそれを気にした風もなく、いつもどおり過ごしていた。
疲れてるのかと思ったからあまりわがままを言わないでおいたが、別の理由があるのだろうか。
「――月子、羊。帰ろうぜ」
無言で帰る用意をしていた哉太が扉に手をかけて言う。
「え?でも、錫也が…」
「――か、帰ろっか。羊君、行こ!」
月子が羊の背中を押す。
なんだか釈然としないものの、羊は取り敢えず月子の言うとおりにする。
廊下に足を踏み出した時、哉太が錫也に声をかけた。
「――錫也、」
「…なんだ?」
「…早く、帰って来いよ」
分かってる。じゃあな。
笑顔で手を振る錫也に見送られて、三人は帰路についた。

「――今日、誕生日なんだ」
帰る道々、肩を濡らす雨を感じながら哉太の話を聞く。
「誕生日?錫也の?」
哉太は首を振る。
「いや。アイツの…彼女だったヤツの、だ」
「…彼女は今何処に?」
「――死んじゃったの」
「…え?」
「一年前の今日、亡くなったの」
月子が唇を噛み、俯く。
「もう一年経つんだね…」
「月子…哉太…」
なんだか二人に近付いてはいけない気がした。簡単に覗いてはいけない何かがそ こにはあった。
「今日はアイツの…錫也の彼女の、誕生日で命日なんだよ…」
冷たい雨が、降っていた。



鞄に教科書を入れる手が、ふと止まった。
鞄の一番奥の小さな包みを、錫也は愛しげに撫でる。
「お前が逝ってからもう一年になるんだな…」
包みの中には小さな指輪。錫也には小さすぎる、女性物。
――お前は今、何してる?なぁ――
錫也は束の間目を伏せ、何かをふりはらうように再び片付け始めた。




「あいつ――とは、俺が入院中に知り合ったんだ」
――病気とは思えないくらい騒がしい奴でよ。いつも俺の病室に来ては、見舞いに来てた月子とキャーキャー騒いで看護士に怒られてた。
あんまり騒ぐから、外でやれって怒ったことあるんだ。ふてくされたが病室戻るっつって出てこうとした時にぶつかった男…それが錫也だった。
それから錫也は、俺以外への差し入れも持って来るようになった。一度、誰にやってんだって聞いたことあんだけど、錫也は楽しそうに笑って答えなかった。
…今思えばにやってたんだろうな。
気付いたらアイツらは付き合ってて、俺が退院した後も錫也は足しげく通ってた。
は病気だったけど、幸せそうだった。…本当に、幸せそうだったんだ――。




『――あと一年!?』
目の前の少女の口からもれた、残酷な数字。それは錫也の目を見開かせるには十分過ぎた。
「そんな…そんなことって…」
余命一年。重過ぎる言葉をは軽く言い放つ。
「仕方ないよ。ここまで元気にやってこれたのが奇跡なんだし」
どこか諦めたようなその口調に、錫也はカッとなって立ち上がった。
「そんな言い方するなよ!自分のことなんだぞ!?」
の肩がビクリと跳ねる。そして気まずげに俯いた。
「…だって最初から分かってたじゃない。私はいつか錫也とお別れしなくちゃいけないって」
「そんなの…!」
「私だってほんとは嫌だもの!」
今度は錫也が跳ねる番だった。こちらを見上げてくる瞳は今にも泣き出しそうに揺れている。
「本当は錫也ともっとたくさん話したいし、ずっと一緒にいたい!…だけど、私は病気なの。この体は…もうボロボロなんだよ」
ギュッと握られた拳が震えている。零れ落ちた雫が真白のシーツに染みを作った。
「…なら、一緒にいよう」
「え…?」
錫也はの小さな拳に自らの手を重ね、励ますように笑った。
「これからは毎日ここに来る。たくさん話して、たくさん笑おう。お前が眠ってたって、俺が手を握っててやる。離れなくなるくらい、握ってるから」
だから笑えって。
ふにゃり、涙で濡れた瞳が笑顔になる。





「――錫也は約束どおりに毎日行った。例え大事な用があってもを優先したんだ…」





の目が大きく見開かれる。
「…わぁ!ありがとう、錫也!」
翳した指にリングが光った。
は嬉しそうに笑う。けれど、突然悲しげに俯いた。
「…でも、私は何も返せないよ…。ごめんね、錫也」
錫也は首を振り、の手を引いた。上げられた顔に手をそえ、優しく笑う。
「俺はお前が笑ってるだけで幸せだよ」
大丈夫。
錫也は彼女を笑顔に変える。
哉太はそこまで話して息をついた。
「錫也にそんな過去があったなんて…」
自分はつくづく幸せなんだ――と羊は思った。
自分なら、あんな風に笑っていられない。――錫也は、強い。
「可哀相…」
羊がぽつりと呟いた言葉に哉太の眉が跳ね上がる。
「`可哀相'?…ふざけんな」
「哉太…?」
「アイツらは幸せだった。それを錫也は一番よく知ってる。…可哀相なんて言葉でまとめんじゃねぇ!」
哉太は怒っていた。静かに怒りを燃やしていた。
「…ごめん。僕、そんなつもりじゃ…」
「じゃあなんだって言うんだよ!」
「か、哉太!」
噛み付かんばかりの哉太を、月子が慌てて抑える。
「ごめんね、羊君。…でも、哉太の気持ちも分かってあげて」
羊は大きく頷き、空を見上げた。
いつの間にか晴れていた、青空。目にしみた。





「…錫也、お別れだね」
はそう言って、苦しげに咳き込む。
「も、もう喋らなくていいから」
約束したのに、錫也は泣きそうだった。
これが最期になる。誰かにそう言われたわけでもないのに、何故だか分かった。
――もう、会えない。
「誕生日に逝く事になるとは思わなかったなぁ」
は笑っているのに、自分は…――情けない。
もっと…もっと、手を繋いでいたかった。ずっと一緒に歩きたかった。すぐそばで幸せを感じていたかった。
錫也は溢れそうになる言葉を必死で飲み込む。
それでも、溢れ出た涙は止まらなかった。
「錫也…」
「…お前が泣いてないのに、俺が泣いてるなんておかしいよな…」
「錫也、」
「俺は…」
「もういいよ。錫也」
ゆるゆると持ち上げられた腕が錫也の頬に触れる。
「ありがとう。私は錫也に出会えて幸せだった。それだけでいいよ」
ね、笑って。
は微笑む。
錫也は思わず笑いを零す。
これではいつかと逆ではないか。
「ああ…俺も、お前と出会えて幸せだった。…ありがとう」
は目を丸くし、そして笑う。
「…天国で会ったらよろしくね」
「ああ」
「ね、錫也。私の指輪、預かっておいてくれる?」
「ああ。何十年か後、返してやる」
錫也はの手を取り、指輪を外して握りこんだ。温かさがしみる。
――大丈夫。笑っていられる。
「それじゃあ、私、そろそろ眠るね」
「…ああ。おやすみ」
「おやすみ、錫也」
の瞼がゆっくりとおりる。
閉じられる直前、微かに呟かれた言葉が錫也に届く。
`大好きだったよ、錫也'
錫也は目を見張る。そして、微笑んだ。
「俺も、大好きだったよ」




降る雨は温かく、やわらかい。それは幸せな日々を表しているようであり、これ からの未来をうつしているようでもあった――。




















な、長かった…!
なんか色々すみません…。
やっぱり一話におさめるのは難しかったです。
…あ、石は投げないで…!